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怒りと苛々の日々

苛々が頂点へ達しつつあると云うのは今のような心境を云うのだろうかとも思う、二月中は遂に二十三時より前に帰宅を出来る日が一日も無かった、それ処かこの前に休んだのは二月の一日で幾十日も休まず働かされて何んの罰を受けているのかとも思う。

今日は遂に職場を辞したのが二十三時半も過ぎてからで、バスを待っていねと昼間は一二分毎に来るバスもさすがに夜中は十幾分も来ない、しかも遣って来たバスは深夜料金とかで二倍の額を取られた。

駅前へ着いて簡単な夕食と思ったけども、牛丼店は朝飯に利用をしたので避けたい、残るは立ち食い蕎麦しか無いけれども、いつも開いているのでついつい二十四時間営業と思っていたら、店は暖簾を上げて本日終了の札が提げてある、がっかりしたので駅へ戻り山手線の電車に乗ったら、珍しく空いていたので席へ座って落ち着いたと思ったら、今度はなかなか発車しない、次の電車が遅れているから二分を止まると云う、そのあと止まった駅々で二分三分と時間合わせをしたので、いつもは二十分と少しで池袋へ着く処を三十五分も掛かってしまった。

池袋の駅前には屋台の中華そば屋が出ていた筈と思い、駅前へ出てみると姿は見られず、然し他の店は広い道路を渡った向こう側でめんどくさいしタバコ臭いだろうから、夕食は諦めて自販機で冷たい茶を買って西武線の準急に駆け込んだ。

準急電車は大入り満員のぎっしりと人を詰め込んでから池袋の駅を発車して、大きな曲線を緩っくりと曲がり、いよいよ加速を始めると云う処まで来てもまったく速度を上げない、のろのろ、のろのろ、練馬を出てものろのろ、のろのろ、石神井公園までいつもなら十二分ほどで駆け抜けるのに三十分以上も掛けて、自宅の最寄駅まで四十分も掛けて漸く着いてみたらすっかり一時も過ぎている、バスプラ西友へ寄るのも諦めてぬるくなった茶を飲みながらふらりふらりと深夜の町を歩き自宅へ戻った。

朝はまだ夜が明けない時刻に出掛けて帰りはすっかり日が暮れて、行きも帰りも店はどこも開いてはいないし、何かをお楽しみにする時間帯はまったくに無い、職場では私よりもっと長く働くのを好む人々がいっぱい残ってごそごそ仕事を続けている。彼らはおおむね結婚指輪をしているから、女房も子供も居ることだろう、朝は八時前から深夜は二十三時まで、土曜も日曜も働いて、それが一二週間の僅かな期間であれば仕方が無いものは仕方が無いと諦めもつくけれど、それが二か月三か月半年と続いたままの状態、家族団らんとか考えないのか、或いは豊かな人生とは何にかと云うことを常に考えざるを得ない。
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玄関冷蔵庫

白菜の半身を買ったのはいいけれど、半身とは云ってもかなり大きいし食べ切らないともったいないから、毎日のように鶏肉と豆腐と共に煮て食べている、よくもまあ毎日来る日も来る日も同じ品で飽きないものかと我ながら呆れる、呆れても簡単でめんどくさくないからそれでいい事にしている、食べ終えると鍋に汁が残るのでこれを翌日にまた使うと、次第に鶏肉や白菜や豆腐のうま味が濃縮されてくる、毎日食べ続けて遂に白菜が無くなった翌日には、溶き玉子と鶏肉を入れて醤油で味付けしてあんかけにして食べることにしている、蕎麦やうどんをいれたらさぞかし旨いことだろうと思う、鍋は土鍋を持っているものの大きすぎるし手入れが面倒なので、普通のステンレスの鍋と卓上ガスで煮ている。

我が家の玄関は集合住宅にある一般的な鉄の扉で、真冬になると扉の前は外の寒さが直接伝わり或いは新聞受けの隙間から風が入って猛烈に寒い、そこでそこを「玄関冷蔵庫」とすることにした、誰か来たらみっともないけれど、誰も来ないし、来てもヤクルト売りや研ぎ屋ぐらい、他には稀に宅配が来る程度、その玄関の土間へ室内側との間に少し隙間をこしらえて風呂桶のじゃばら状の蓋を立て、冷たい風が室内の方へ来ないよう衝立として仕切っている、風呂の蓋なので防温の仕組みになっているし蛇腹状なので形を自在に変えられるのがとても便利、百円均一店で寒暖計を買い求め設置してみたところ、概ね摂氏零℃から五℃程度を示している、大きな焼酎や麺つゆの瓶もそこできちんと冷たくなっているし、湿気が高めなので野菜を立て置いてもしなびないなどの利点もある、食べ残しの汁が這入った熱い鍋もそこへ置けば短い時間ですぐに冷たくなり劣化の心配が無い、何よりも電気代を気にしなくて良いのが精神的にも善い、エビスもここで冷やしてみたところ、冷蔵庫のような冷やし過ぎにならなくてとてうまく飲める。

豆腐と白菜と鶏肉

やっと職場を辞して出たのが二十二時の近くでバス停へと行きバスを待った、幾ら何んでもこの時間帯は何分も来ないか知らと思ったら四五分毎にバスは来る、しかも遣って来た駅行きのバスには大勢の人が乗っていて皆は仕事を終えて帰宅する風、駅から戻るバスには矢張り仕事を終えて帰宅する人々が大勢で待っている、沿線にはどれだけの需要があるのかとも思う。

バスの混雑とは対照的に山手線の電車に乗ったら珍しく空いていて席へ座る事が出来たので、イ式板端末を取り出してメールなぞを眺めたら、クックパッドと云うサイトからお知らせが届いていた、このサイトへ我が家の近隣にあるスーパー店のお買い得情報をくださいと登録をしてあるので、幾日に一度かそのような報せが届く、今日はいつものバスプラ西友にてびんちょうまぐろがお買い得で100gが130円ほどであるのはいつもより幾らか安いしびんちょうはとても好物でもあるので、それでは買うことにしようと思い待て暫し、これからバスプラへ着いた処できっと売り切れているに違いないと思うと、少しばかり悲しくなった。

淡い期待を持ちつつバスプラへ行くと、果たして広告の品は影も形も無く、それ以前に鮮魚の売り場は茹でた蛸の足が一とつ残るだけ、がっかりして惣菜の売り場へ移動、こちらも矢っ張り何に一とつとして残っていない、サラダや煮物なぞの売り場には小さなポテトサラダが一とつだけあって、それを買うことにしようと思ったら他の人の手が伸びて、それはその人が持った籠へ入れられて私が買う事は叶わなかった、仕方が無いものは仕方が無い、豆腐の売り場へ行き木綿豆腐が売り切れて無かったので、絹ごしで良いことにして豆腐の一丁と白菜の半身、それに鶏肉を買った、ぜんぶ茹でて醤油をほんの少しだけ掛けて食べるととてもうまい、さむいし今夜は鍋か湯豆腐か曖昧なものにしよう。

帰宅して湯浴びをしてから鍋に水を入れて切った豆腐と白菜と鶏肉と昆布の小さな切れ端を入れて弱火で煮る、沸騰した頃にあくを取り除いてもう少し煮るとたいへんにおいしく食べ頃になる、その湯豆腐と鍋の曖昧なものを食べつつエビスを飲みつつ考えてみた、惣菜売り場へ並ぶ品々には食品添加物が大量に含まれていて、それは健康によろしくないのではないか、それらを回避しようと思へば自ら調理する以外には無いけれども、さらに考えてみればその材料である野菜や肉には農薬やら飼育時の薬品やらが含まれている筈、そんな事を考え始めたらきりが無いし矢張り調理の手間がめんどくさいから、なるべく出来合いの惣菜を買い求めて、ぱっと簡単に食べられる方が善いということにした。

おいしくない昼飯

職場の職員食堂を使えるのは嬉しいと思ったのはつかの間、その内容の程度の低さと見合わない価格の高さに腹を立てつつも他に選択肢は無いので黙々と頂いている、勤務先の正社員の方は我慢強いと思う、その食堂だけれども今日はとびきりに素敵なメニューが供された。

品目は豚丼で五百円と書いてあったので、牛丼店で出すような品を想定していたけれども、見事に裏切られてまったく違うものが出てきた、すっかり冷めてしまったごはんを丼へ盛ると、その上にラーメンのやきぶたのような薄い肉を四枚だけ載せる、食べてみてわかったけれど肉は茹でただけのものらしい、そこへ甘辛いたれをほんの少しだけ掛けてくれる、タレを多めにと言ったら規定で出来ないと言われて丼を乱暴にどんと置かれた、不愉快なままそれを盆へ載せると、ご飯と豚肉のほかには何んにも無い、べにしょうがとか小さな漬物とか緑豆とか添えそうなものだけども、何んにもないので、味噌汁と漬物と添えて百円、さらに野菜が足らないので小さな器に盛られたサラダと称する千きゃべつ、小さな小さなパセリが添えられて百五十円、まだ足らないので冷奴と称する西友で買うと三十六円の豆腐の四分の一程度の大きさのものが、百五十円。
合計で九百円。
食べてみたら肉は何んにも味がついていなくて、茹ですぎてぱさぱさで水気が無い、タレがまったく足らないので醤油を掛けてみた処、醤油の味しかしない、ご飯は人肌程度には温かい程度、食い物の恨みは恐ろしいと云う事であばれたくなったけれど、そこは大人なので文字通りに大人しく黙々と食べた。

深夜の食堂

今日はいよいよ遅くなって自宅の最寄駅へ帰ってきてみたら二十二時半になっていた、これから惣菜を買い求め帰宅してからエビスを飲み始めるのは二十三時を過ぎると思うし、飲み食べ終えるのは零時の頃になりそうで、それから一時間ほど腹を休めてから就寝をすると一時を過ぎて、そうして明日は五時の少し過ぎには起きて五時四十五分には出掛けなければならない、眠られる時間は僅かに四時間で昼間は大変につらい、とは云え仕方が無いものは仕方が無い、駅と直結をしているバスプラな西友へと行き惣菜売場にて今日は何にしようかと思ったら、惣菜は綺麗さっぱり売り切れで何に一とつとも無く、売場の棚は文字通りにすっかりかんになっている、それではサンドイチや寿司かと思へば、これもすっからかん、サラダや野菜の煮物なぞもまったくない、がっかりとして鮮魚の売り場へと行き刺身をと思ったら、こちらも何に一とつとも残っていなくて、小さな茹でえびのパックが一とつだけ残っているけれども、小さなえびを茹でたものでは腹は駆逐できない。

仕方が無いものは仕方が無い、これから帰って二十三時半を過ぎては腹が辛いので夕食を食べるのはよすことにした、冷たい水を飲み或いはせめて湯を沸かして湯を飲めばぐうぐうと鳴く腹を鎮める程度には効果がありそう、そのような事を考えながらふらりふらりと歩いてて我が家へ近づいたとき、ちみさんの店にまだ灯かりが灯り、提灯も電気が入り出ている、そう言えばちみさんの店へもしばらく行っていないから寄ることにしよう、何にかしらこしらえてくれるはずでもある。

「ごいげんよう」と扉を開くと、相変わらずの素っ頓狂な大声でああらおひさしぶりねえ、生きてたのアハハハと機関銃の如くに愉快そうにしゃべり笑うので、こちらも気分が愉快になった。今日は先客が一人居て近所にお住まいで時折にお見掛けするおばさん、ちみさんの料理が好きで夕食を兼ねて時折に来るのだそう、その客とちみさんと三人でアハハハと語らいながらビールを飲んでいると、さらに常連の男性が一人で遣って来た、この人も顔なじみであって大変に柔らかな物腰の方で好印象ではあるけれども、彼は大変な煙草のみ、彼が来た途端に私としては大変に残念でがっかりという気分になった、そうして彼は席へ座りビールを注文するなりに、ごく当たり前のようにさもそれが当然といった感じでたばこを吸い始める、それまで誰も吸っていない席であったのに、吸っていいですかの一と言もなく当然の如く権利の如くに吸い始められては、こちらとしては大変に不愉快極まりない、大体たばこを吸う人と云うのはニコチンで脳味噌の神経がだいぶやられているらしくて、他人への配慮なぞは無から期待する方が無理と云うものか、殺意を自覚する前にビールの一本を飲み韓国風の煮鯖を頂いて足早に店を辞した。

帰宅をしてみると、外套からその下の背広からシャツからすべてが猛烈にたばこ臭い、そのまま居間を通り過ぎて寒いのをこらえてベランダで服を脱ぎほぼ裸になると、すべての衣類を衛門掛けへ掛けてベランダの物干しへ洗濯物を乾かすように下げた、こうして夜露に濡らすように干しておけば朝までには半分ほどは臭みが取れる、次に浴室へ行き湯浴びをして徹底的に洗い流す、乏しい毛髪が特別にたばこ臭くなっていて大変に気分が悪いから、徹底的に洗い流す。

どこの飲食店でもたばこを許しているから、結局は外食で済ますというのは避けるようにしている、禿鷹の日高屋ですら夜は喫煙を許していて店内は猛烈にたばこ臭いので、這入る気にはまったくならない、幾ら分煙と称しても同じ部屋で仕切りも無く半分がたばこを吸えて半分は吸えないなぞ、まったく意味は無い、日高屋は「当店は喫煙者用の店であるので非喫煙者は来ないでもらいたい」と高らかに宣言をしてもらいたい。

豊かな暮らし

表題のようなことを考えてみようとしたけれども、これに対する答えはすぐに出て結局の処、私には業務で押しつぶされていて時間がまったく自由にならないから、何をどうしても仕方が無いものは仕方が無く無意味であった。
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