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通勤するということ

自宅に篭りきりでの仕事を始めて八ヶ月を経たけども、矢張り私の性には合わないもようで気分は滅入る一方で如何ともし難い、通勤電車へぱんぱんに詰め込まれて行き来をする必要が無いのは楽ではあるけども、朝になってベランダへ出て通りを眺め先を急ぎ歩く人々を見る度に、これから仕事場へ行くのだなと思うと少しく羨ましくも感じてしまう。

省みて自分の場合は、朝の六時に起きて歯と顔を磨いた後に洗濯や掃除をして簡単な朝食を済ませて、八時から九時の頃には机へ向かいPCを点けて業務を始める、午後の業務は七時か八時には仕舞いに、偶には十時十一時まで続けるけども、何にしても仕舞いにした数分後には湯浴びをしたりエビスを飲んだりする。

通勤が無いのはらくではあるけども、考えてみると電車に揺られている時間は読書をしたり風景を眺めたり、行き交う人々や電車を眺めたりする他に、仕事でも自宅の用事でも無い開放された何んにもない時間でもあって、その何んにも無い時間が貴重なのではないかと思うようになった。

以前に自動車で通勤をしていた事があったけども、自動車を走らせると云う用事はあっても、仕事でも自宅の用事でも無い何んにもない時間であるのは同じで、ラジオを聴き或いは好きな音楽を掛け過ごしていた。

その何んにも無い時間と云うものが自宅の仕事では無くなってしまう、たまに業務に余裕が出来て暫く自由にできる時間が出来たとして、掃除をしなければ、整理整頓をしなければ、日記を書かねば(笑)、なぞのような「~なければ」ばかりが思いつい気分は焦って休まらない、それでは旅行にでも出ておまえの好きな電車列車に長い時間を揺られれば良いではないかと言われそうだけどもそれはまた別の話し、日常の中で開放される時間を無意識の内に求めているのではないかと思う、それが通勤の時間では強制的に付与される。
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