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毎日が宇宙旅行と地底探検旅行

残業を終えて左様ならと挨拶の後に職場を辞したのが21時の頃、重い扉を開き廊下へ出ると時間も遅いことから薄暗くなっているけれど、自分が立った前後の数メートルはふわっと明るく照らされる、歩いて先へ進むとさらにその先がふわっと明るくなり通り過ぎたところはふわっと薄暗くなる、ぱっといきなり明るくなったり暗くなったりしない処、余計な事を考え過ぎではないかと思う。

歩廊を進み高さが三竿もあろうかという高い自動扉の前へ立つと、立ったそこだけ天井からぱっと照明が灯って明るく照らされるから舞台に立った歌手の如くか知ら、扉の釦を押すと扉が重そうに開いてその場を去ると照明がぱっと消え扉は重そうに閉じる、その先は区間急行エレベータの乗り場で矢張り薄暗く、下へ向かう呼釦を押して待つ、エレベータの扉もエレベータの箱が通じる穴もすべてガラス張りで外からも中からも丸見え、少しすると下階へ向かう案内の明かりがぽんという音と共に灯り、さらに少しすると上階よりエレベータの箱が降りて来るのが見えるけれども、箱の下には宇宙船のような四角形の薄明るいランプが幾つも点けて降りて来る、ぴたりと止まってガラス張りの透明な扉が開くので乗る、なぜか閉じるの釦が付いていない、それで数十階まで降りてそこで特急のエレベータへ乗り換える、特急の乗り場は別の場になっているので幾つかの扉を経て歩いて向かう、そこは広い空間が広がり壁はすべて上から足元までガラス張り、薄暗いからすっかり夜の帳が下りた都会の街中が宝石箱のようにきらきらと輝いてきれいに見渡せる、真夜中の空中庭園と云った趣でもある。

特急の呼釦を押してしばらく待つ、四基ある特急のどれが来るのかは運次第、ぽんと云う音と共に下へ向かう特急が来る知らせの明かりが灯り点滅する、矢張り透明なガラス張りの扉にエレベータの通路となっていて、その中を宇宙船の如く前後に明かりを点して遣って来る、透明な扉が開くと同時にスポットライトが足元を照らす、乗って扉が閉じてしまうと灯火も消えて薄暗い箱内から外の風景がよく眺められる、段々と地面が近づいてあっと云う間に一階へ着き耳が押された感じになる、宇宙船へ搭乗し時空の彼方から地上へ降りるような気分でもある、ガラスの扉が開いて目の前にある出口へ向かうとそこは地下鉄の改札口。

宇宙船の旅はこれで終わりで引き続き間断も無く地底旅行が待っている、改札口を通り地底の奥深くへ続く階段を延々と歩いて降りると、そこは矢張りガラス張りの壁に囲まれた乗り場となっていて、扉は天井まで続いていて山手線の乗り場にある様な貧相な扉とは次元が異なる、やがて電車が来て扉が開き乗り込むと騒々しいファンファーレの後に扉が閉じて耳障りなインバータの騒音と共に電車は地底の深くをごうごうと走る、幾つもの駅を過ぎて乗り換えをしている後楽園の駅へ着いたので降りて、家屋の三階ほどもある長いエスカレータに乗るとその先は只の踊り場、さらに事務所建物の七八階はありそな長い長いエスカレータに延々と乗って着いた処は再び踊り場と地下の改札口で、さらに幾つもエスカレータを上るとようやく地上の一階へ辿り着いた。

これで宇宙旅行や地底探検旅行も終わって、後楽園駅の二階にある丸ノ内線の古ぼけた乗り場へと行き、遣って来た古ぼけて馴染みある丸ノ内線の電車を観てようやくほっとした気分になる、丸ノ内線の電車は扉を閉じると地底の奥深くをちんたらと走る地下鉄とは打って変わってすたこらと素早く走り池袋の駅へと着いた。

新たな仕事場は恐ろしい処

すっかり日記をさぼっているうちに月が進んで卯月四月へ入った、その途端に初夏を通り越して夏のような暑さになったから、今からこれでは真夏が思いやられてうんざりとする。

処で恐ろしく無能な社畜が支配する馬鹿愚かな現場を蹴飛ばした後の、次の新しい現場は、矢張り切羽詰まった状況で残業の日々が続くのは変わりは無いけれど環境は丸で異なっている、朝の始業は十時で九時半より前に職場へは這入れないから、朝は七時に起きて八時半に出掛ければ充分に間に合う、昼食の状況も一変をして、前は職員食堂での昼食が激しくまずいとは言わないものの、精神の隅を少しずつそして確実に蝕むような内容の、微妙においしくなく内容に見合わない高価なもの、結果として働く人々の精神崩壊を助長している、今度は職員食堂が無いので、同じ建物へ入居している食堂の各店舗へ食べに行く、昼食にこんなにうまいものを食べた記憶が無いほどに、うまい料理ばかりを毎日食べることになった代わりに、代金は一回につき最低で千円から、おおむね千二百円から二千円ほどが掛かるので、今度は財布に多大なる打撃を与えることになった。これはこれで別の精神崩壊を招きかねない、金曜日なぞイタリヤ料理店へ行きましょうと云うので皆の後へ付いて行くと、明らかにアルバイトではない専門職の男の給仕が席まで案内をして、食卓には白布が掛けられ銀器や足が付いたガラスの杯が並び、皿とナフキンが用意されている、料理は前菜に始まりスープが出てサラダが出て小さな肉または魚の料理を選んでパスタが出る、最後に小さな果物とコーヒーが出た、それで価格は千七百円であるから内容に比して安価とは思うけれども、平日の昼間から何にをやっているのかと思わずにいられない、大変においしい料理とは云え半分泣きながら毎日の昼食を頂いている、私にはバスプラの一個七十円のお結びが充分で相応しい。

食堂を辞して別の店で食後に果汁飲料なぞいかがと云う事で付いて行ってみれば、オレンジやグレープフルーツなぞの果物をその場で絞って飲み物にしてくれて一杯は六百円から、とても手がでるものではないからそれは辞して、並びのカフェで持ち帰りのコーヒーを買い求めたら三百五十円。

ビル保有会社の方針で牛丼や立ち食いそばなぞ安売りの店は一切たりとも入れないらしい、外へ出てもそのような店は見当かたらないどころか、歩いて行ける範囲にコンビニエンスすら無い、建物内にはビル会社が経営しているらしい聞いた事も無いコンビニエンスもどきはあるけれど、そこの弁当も七百円からで味噌汁なぞ点けたら千円に近い。

職場は都心の某所にあって嫌いな地下鉄を利用しなればいけない、地下鉄の長いエスカレータを上がり改札口を出ると、地下なのに広い空間が設けられて地上の光が燦々と明るく差し込む、その目の前に職場へ上がるエレベータがある、建物が高いのでエレベータには特急と区間急行と鈍行があって、私の職場は特急で幾十階まで行きさらに区間急行へ乗り換えて幾十階へと上がる、コンビニエンスもどきは下の方の階にあるので、区間急行と特急を乗り継いで地下へ降りてから鈍行でコンビニエンスもどきの階へ上がる、特急のエレベータは箱が小型のバスほどもあって一度に百人は乗れそう、しかも三面がガラス張りで見晴しは大変に善く、今はどこを眺めても桜の花が咲いているのが見渡せる、日が暮れると子供の頃に見た「未来の図鑑」であるとかSFドラマや映画に出るような人工的な風景が、或いは大阪万博で眺めたような未来的な風景が広がる、何んとも恐ろしいところで仕事をする羽目になったものと、帰宅をすればぐったりと気疲れが酷い。

あれやこれやと、普通に仕事をするためにそんなに大量の電力やら水やらが必要なのかと、贅沢に過ぎるのではないかと思うし、原子力発電所を幾らこしらえても電気はいつまでも足らないのは当たり前ではないかとも思う。

「畜生」とは何か

国語辞典をひも解き「畜生」について調べてみると、以下のような意味であると記されている。

一、 鳥・獣・虫魚の総称。人間以外の動物。
二、「畜生道」(仏教での六道の一)の略。
三、人を憎んだり、ののしったりしていう語。感動詞的に、怒りや失望などの気持ちを表すときにも用いる

二と三は兎に角、畜生の意味は人間以外の動物とある、家畜は人々が餌を与え育て、適当な大きさに太った処で、我々の生命を繋ぐ貴重な糧となってくれる意味では極めて有益且つ無くてはならない、有難く感謝すべき存在と言える。

では社畜はどうか。社のために生命のすべてを捧げて生活も家族も何にもかもを放り出して「仕事が最優先」とのたまう輩の事を云うのであろう、国語辞書風に云えば、企業へ自ら生命を差し出す奇異な人間の一種、主に日本列島に生息する、と言った処か。

今の職場は大手のメーカープロパーの社員とその子会社の社員が業務を司り、子会社の社員は主に業務の内容や技術的な面を管理監督している、彼らは当たり前のように毎朝は七時過ぎには集まり業務を始めて深夜は二十二時に十三時まで帰らない、土曜日曜も当たり前のように出勤をしている、このような連中が典型的な「社畜」と云うものであろう、彼らの価値観として社畜人生に人生と生命のすべてを掛けていると云うならば、それはそれで私が知ったことではないけれど、私及び私どもの外注会社を巻き込まないでもらいたい。

大手メーカーのリーダー的存在の社畜は、只管に「遅い」「本当に間に合うのか」「進んでいるという根拠は」「遅れるとは何事か気合が足らん」ど怒鳴り罵るだけの簡単な仕事をしている、予定が遅れているから一人増やしてやると、どこかから一人連れてきてこの人を使えと云うものの、基本的なOSコマンドも知らない打てない輩が増えた処で何んにも改善はしない。

その社畜であるプロパー奴は立場が強い事を利用して理不尽な要求を強要する、具体的には多大な業務を押しつける、午後六時までにはとても終わらない分量を押し付けるから、暗黙の裡に午後九時十時までの残業を強要する、それでも間に合わないので早朝の出勤と帰りは二十三時や二十四時と云うことになって、さらに足りなくて土曜日曜も出ざるを得ない。こちらはそれを拒否する立場では無いので強制されているのも同義でもある。

弱い立場の協力や下請けの社員は少しずつ精神的に追い詰められて更に追い打ちを掛ける、そのような事が日常的に行われているので、昨年末までに一人が出社をしなくなって業務が滞り始め一月にももう一人が来なくなって、それぞれの所属会社の責任者が無能社畜に呼び出され、責任を以て期限までに仕上げよと云う。

そのような訳で、押し付けられた大量の月曜日が納期と云う仕事がまったく間に合わなくて無能社畜は怒鳴り散らし、遂に深夜十二時前に職場を辞することができなくなって、到頭金曜日は徹夜作業になってしまった、朝の七時になっても三割も終わらない、草臥れたので帰ろうとしたら、無能社畜に呼び止められどうなっているかと問われたので、三割まで出来たが月曜納期は無理と回答、社畜の怒りに火をつけて油を注いでしばらく交響曲を聞くが如くにその罵声を伺った、そのうちに腹が立ったので怒鳴り返して机もばんばん叩いた、殴られそうになった処でクライアントの担当が驚いて飛んで来て仲裁に這入ろうとしたから思わず言ってしまった。

「うるさい、てめえには関係ない、いつものように被害者面してそこの席へ澄まして座ってろよ」

クライアントは開いた口が塞がらないというような表情になり、社畜は大慌てでお客様へ何て失礼な言葉をなぞと言い私の腕を掴み客の前へ座らせようとするから、それを振りほどいて知ったことかと、すると社畜が一人でクライアントの前で膝間付き土下座を始めたので馬鹿らしくなってそのまま帰って来た。

自社の社長へは事の次第をメールで報告、以前から酷い現場であると知らせていたから今月末で終了することは決まっていたけれど、それまで待てないから月曜から行くのをよすと云う旨も知らせた。長年の経験から自らの身は自ら守らねばならない、社長の決定を待たずに先手を打とうと思う。精神的に崩壊が始まる前兆を感じていたからでもある、勤務時間も二月分が280時間であるし、今月もすでに70時間を超えて合わせて二か月分の定時分になるのでそれでちゃらにしてもらいたい、そのようなつもりで居たら社長から電話が掛かって来た。

「よくぞ知らせてくれた。もう行かなくて良い。パワーハラスメント以外の何物でもないではないか。あとは善処するから月曜火曜は安心して休んでください、水曜日に次の現場の面接を組みますので仕事も心配はご無用」

そのような訳で月曜と火曜は緩っくり休もうと思う。

社畜には善い事を教えてやろう。

十頓積みのトラックには十頓の荷物を積む。これを能率的或いは効率的と言う。
十頓積みのトラックに五頓の荷物を積む。これを無駄と言う。
十頓積みのトラックに二十頓の荷物を積む。これを無理と言う。

効率や能率を理解せず無理を効率と勘違いしている馬鹿愚かどもは、この三行を読み勉強をし直すと良い。

草木も眠る丑三つ時

やっと業務から解放されて時計を見たら午前一時、バスどころか電車の運行も今日はお仕舞い、宿泊を考えたけれどそれもめんどくさいのでタクシーに乗った、運転手へ少し遠いのだがどこそこまでと伝えると、今はナビゲーションがあるのであれこれと道を伝える必要も無い、郵便番号と住所を伝えて座席へ座り扉が閉じると、自動車はたちまち勢いも善く走り出した。

寡黙な運転手に当たったのは幸い、暫くは都心の風景を楽しむことにして、行く道の風景を眺めるでもなく眺めないでも無く凡やりとしていた、そう云えば自動車で真夜中の都会を通るのは十五年以上も前のことになるのかと、少しばかり昔の事を思い出したりしつつ、行けども行けども建物ばかりの風景を眺めながら色々と考えていたら、考える事のそのものがめんどくさくなって、うつらうつらしていたら我が家の前へぴたりと止まった。

代金は思いのほか高くはなく一万円でお釣りがあった程度、タクシー代金は会社が出してくれることにはなっているけれど、その代金は社の赤字になってしまうし残業代も社の赤字である、そのような理不尽な偽装請負契約は未だ全盛を極めている、大手の或いは最終顧客の下請けを虐げる猛威は未だ健在と言える。

湯浴びをして着替えて時計を見たら午前二時、草木も眠る丑三つ時、これからエビスを飲み簡単な肴を食べることにしよう、そうして明日は別件の仕事で出掛けるけども、昼前には出れば間に合うので幾らかは余計に眠られる。

怒りと苛々の日々

苛々が頂点へ達しつつあると云うのは今のような心境を云うのだろうかとも思う、二月中は遂に二十三時より前に帰宅を出来る日が一日も無かった、それ処かこの前に休んだのは二月の一日で幾十日も休まず働かされて何んの罰を受けているのかとも思う。

今日は遂に職場を辞したのが二十三時半も過ぎてからで、バスを待っていねと昼間は一二分毎に来るバスもさすがに夜中は十幾分も来ない、しかも遣って来たバスは深夜料金とかで二倍の額を取られた。

駅前へ着いて簡単な夕食と思ったけども、牛丼店は朝飯に利用をしたので避けたい、残るは立ち食い蕎麦しか無いけれども、いつも開いているのでついつい二十四時間営業と思っていたら、店は暖簾を上げて本日終了の札が提げてある、がっかりしたので駅へ戻り山手線の電車に乗ったら、珍しく空いていたので席へ座って落ち着いたと思ったら、今度はなかなか発車しない、次の電車が遅れているから二分を止まると云う、そのあと止まった駅々で二分三分と時間合わせをしたので、いつもは二十分と少しで池袋へ着く処を三十五分も掛かってしまった。

池袋の駅前には屋台の中華そば屋が出ていた筈と思い、駅前へ出てみると姿は見られず、然し他の店は広い道路を渡った向こう側でめんどくさいしタバコ臭いだろうから、夕食は諦めて自販機で冷たい茶を買って西武線の準急に駆け込んだ。

準急電車は大入り満員のぎっしりと人を詰め込んでから池袋の駅を発車して、大きな曲線を緩っくりと曲がり、いよいよ加速を始めると云う処まで来てもまったく速度を上げない、のろのろ、のろのろ、練馬を出てものろのろ、のろのろ、石神井公園までいつもなら十二分ほどで駆け抜けるのに三十分以上も掛けて、自宅の最寄駅まで四十分も掛けて漸く着いてみたらすっかり一時も過ぎている、バスプラ西友へ寄るのも諦めてぬるくなった茶を飲みながらふらりふらりと深夜の町を歩き自宅へ戻った。

朝はまだ夜が明けない時刻に出掛けて帰りはすっかり日が暮れて、行きも帰りも店はどこも開いてはいないし、何かをお楽しみにする時間帯はまったくに無い、職場では私よりもっと長く働くのを好む人々がいっぱい残ってごそごそ仕事を続けている。彼らはおおむね結婚指輪をしているから、女房も子供も居ることだろう、朝は八時前から深夜は二十三時まで、土曜も日曜も働いて、それが一二週間の僅かな期間であれば仕方が無いものは仕方が無いと諦めもつくけれど、それが二か月三か月半年と続いたままの状態、家族団らんとか考えないのか、或いは豊かな人生とは何にかと云うことを常に考えざるを得ない。
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